今週の水曜日、親友からの突然の電話で私の父親が倒れ、救急病院運に搬送された事を知りました。
祈るような思いで病院に駆つけると、救急外来の外で不安と恐怖に押しつぶされそうな母親が、父の検査が終わるのを一人で待っていました。 私は瞬時にこの状況を理解しました。 「命」のやりとりです。
私自身、救急病院で3年間働いてきたその「命のやりとり」の現場に、今まさに当事者、家族として、その状況を迎えていたのです。
自分自身,今やるべき事もすぐに理解しました。 不安や恐怖を内に閉じこめ、気丈さ冷静さを表に出し、母の恐怖、不安を飲み込む。 医師の説明を聞き逃すことなく理解し、分かりやすく補足し、母に説明する。
嫌な予感が当たってしまい、緊急に対処できる、より高度な救急病院に転医する事となりました。
診断名は「脳出血」でした。何の前触れもなく突然、日常生活の中に「父親の生死」が飛び込んできたのです。
緊急手術の可能性はまだ残っていますが、何とか症状は平行線。出血の進行具合によっては手術との事でした。 水曜日に緊急入院をしてから今日まで集中治療室で治療を受けています。
話は変わりますが、今年2月に私は祖父を亡くしています。
私は祖父が好きでしたし、祖父にとって私は初孫だったこともあり、一番可愛がってくれた様にも思います。
東京に住んでいた祖父でしたが、ここ”ななみ整骨院”にも何回も私の様子を見に来てくれました。
そんな大好きだった祖父が亡くなったのですが、私は通夜、葬儀にも出ませんでした。唯一、ななみを午前中だけ休ませていただき、告別式の途中まで出席した後、午後には藤沢に戻り診療をしました。
そんな私に家族、親戚からも不満の声が上がりました。 私自身も今でも心残りでなりません。 しかし、後悔はしていいません。
・・・・・私自身のやるべき事。そう考えたとき、何も迷いはありませんでした。
信念を持って始めたこの仕事。色々な方に支えられ、助けられ、始めたこの仕事。 そして今では「ななみ」を頼って来て下さる方々に、私には果たすべき責任があります。
整骨院は救急病院とは違い、直接命に関わる場面はあまりありません。 しかし、治る事を信じ、私の言葉を信じ、ななみの治療を信じ、、痛みを堪え、それこそ”命をかける思い”で何とか来院される患者様は沢山います。 そんな思いで来院される患者様や、そのご家族。また”ななみ”を支えてくれるスタッフや、携わる全ての方々に対して私は”命をかけて働く” 事こそが私の果たすべき責任、使命だと思っています。
おじいちゃんもきっと理解してくれる・・・・。
話は戻りますが、父が緊急入院してから今日の土曜日まで、病院には行けませんでした。
いつ状態が悪くなるもしれないし、そうなった時には母一人では心細く不安であるのはわかっていましたが今、自分の果たすべき責任を考えると、するべき事があります。
おそらく父も理解してくれるのでは・・・。 そんな思いと、一方では病院に駆つけ、父の状態を見守りたい!
という葛藤の中で数日間を過ごし、今日の土曜日に仕事を終わらせた後、祈るような思いで病院に駆け付けました。
父の状態は今のところ安定はしていましたが、まだ手術の可能性は残っているとの説明でした。
幸いにも言語障害はなく、少し話す事ができました。
そこで父が私に言った事は「自分の責任をしかっりと果しなさい。 頑張りなさい。」という言葉でした。
「無理して来なくてもいい・・・」 本心ではないのかもしれない。そうに違いない。 でも父の思いは伝わって来ました。
父は会社を経営しています。そんな父を私は先輩としても尊敬してきました。父の会社も継がず、この仕事を選んだ事も応援してくれました。
私はそんな父が、病床で仕事への責任を果たせない事への悔しさ、残念さをにじませている姿を見て、”命をかけている戦士” だという事を実感しました。
その父が私に言った言葉 「自分のやるべき事を頑張りなさい。」
私の心に鳴り響いた言葉です・・・・・。
私も父のように、自分の果たすべき責任に対して、”命をかけて戦う戦士”になりたい。
そう思った土曜日でした。
祈るような思いで病院に駆つけると、救急外来の外で不安と恐怖に押しつぶされそうな母親が、父の検査が終わるのを一人で待っていました。 私は瞬時にこの状況を理解しました。 「命」のやりとりです。
私自身、救急病院で3年間働いてきたその「命のやりとり」の現場に、今まさに当事者、家族として、その状況を迎えていたのです。
自分自身,今やるべき事もすぐに理解しました。 不安や恐怖を内に閉じこめ、気丈さ冷静さを表に出し、母の恐怖、不安を飲み込む。 医師の説明を聞き逃すことなく理解し、分かりやすく補足し、母に説明する。
嫌な予感が当たってしまい、緊急に対処できる、より高度な救急病院に転医する事となりました。
診断名は「脳出血」でした。何の前触れもなく突然、日常生活の中に「父親の生死」が飛び込んできたのです。
緊急手術の可能性はまだ残っていますが、何とか症状は平行線。出血の進行具合によっては手術との事でした。 水曜日に緊急入院をしてから今日まで集中治療室で治療を受けています。
話は変わりますが、今年2月に私は祖父を亡くしています。
私は祖父が好きでしたし、祖父にとって私は初孫だったこともあり、一番可愛がってくれた様にも思います。
東京に住んでいた祖父でしたが、ここ”ななみ整骨院”にも何回も私の様子を見に来てくれました。
そんな大好きだった祖父が亡くなったのですが、私は通夜、葬儀にも出ませんでした。唯一、ななみを午前中だけ休ませていただき、告別式の途中まで出席した後、午後には藤沢に戻り診療をしました。
そんな私に家族、親戚からも不満の声が上がりました。 私自身も今でも心残りでなりません。 しかし、後悔はしていいません。
・・・・・私自身のやるべき事。そう考えたとき、何も迷いはありませんでした。
信念を持って始めたこの仕事。色々な方に支えられ、助けられ、始めたこの仕事。 そして今では「ななみ」を頼って来て下さる方々に、私には果たすべき責任があります。
整骨院は救急病院とは違い、直接命に関わる場面はあまりありません。 しかし、治る事を信じ、私の言葉を信じ、ななみの治療を信じ、、痛みを堪え、それこそ”命をかける思い”で何とか来院される患者様は沢山います。 そんな思いで来院される患者様や、そのご家族。また”ななみ”を支えてくれるスタッフや、携わる全ての方々に対して私は”命をかけて働く” 事こそが私の果たすべき責任、使命だと思っています。
おじいちゃんもきっと理解してくれる・・・・。
話は戻りますが、父が緊急入院してから今日の土曜日まで、病院には行けませんでした。
いつ状態が悪くなるもしれないし、そうなった時には母一人では心細く不安であるのはわかっていましたが今、自分の果たすべき責任を考えると、するべき事があります。
おそらく父も理解してくれるのでは・・・。 そんな思いと、一方では病院に駆つけ、父の状態を見守りたい!
という葛藤の中で数日間を過ごし、今日の土曜日に仕事を終わらせた後、祈るような思いで病院に駆け付けました。
父の状態は今のところ安定はしていましたが、まだ手術の可能性は残っているとの説明でした。
幸いにも言語障害はなく、少し話す事ができました。
そこで父が私に言った事は「自分の責任をしかっりと果しなさい。 頑張りなさい。」という言葉でした。
「無理して来なくてもいい・・・」 本心ではないのかもしれない。そうに違いない。 でも父の思いは伝わって来ました。
父は会社を経営しています。そんな父を私は先輩としても尊敬してきました。父の会社も継がず、この仕事を選んだ事も応援してくれました。
私はそんな父が、病床で仕事への責任を果たせない事への悔しさ、残念さをにじませている姿を見て、”命をかけている戦士” だという事を実感しました。
その父が私に言った言葉 「自分のやるべき事を頑張りなさい。」
私の心に鳴り響いた言葉です・・・・・。
私も父のように、自分の果たすべき責任に対して、”命をかけて戦う戦士”になりたい。
そう思った土曜日でした。
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日曜日に面会に行ってきましたが、症状は安定していました。
治療していただいている医師、看護師の皆さん、また心配をして下さる皆様方に感謝を申し上げます。
私もリハビリに携わる仕事をしていますが、GBM様のようにご自分の経験からの言葉を掛けて頂いて、すごく支えになりました。有難うございます。
自分の家族の事になると冷静になれているかどうか・・・迷いましたが、掛けていただいた言葉とおり、自分の責務を果たしてから看病に当たる事が何より父を安心させる事だと再認識しました。
父も早くリハビリのできる状態になれば良いのですが。
その時は、今後の目標などを話し合ったりして、大変な事は沢山あるかもしれませんが、全力で取り組める環境を作ってあげたいと思います。
まずは、症状の回復を祈ります!!
ご心配していただき、有難うございました。